ひかりの途上で

・第二詩集『ひかりの途上で』(七月堂)。20138月刊行。
64H氏賞受賞。

七月堂のホームページから、購入できます。


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詩集から何篇かを。


はつ、ゆき

赤ん坊のわたしの目が
窓のそばで
はじめてみひらき とらえた
わずかなこゆきさえ記憶になく
何万回繰り返されても
この身の転生は
ひとと別れるために
小さな冬から冬を渡る
寒い道ゆきでしかなかった

町はずれの焼場から
血のつながらないひとの
耳と薬指の骨を分けてもらい
時刻表が消えかかる停留所で
バスが来るはずの方角を
もう長いこと見続けているのも
生まれる前からの約束だったのだろうか

いまにも降りだしそうな
はつ、ゆきに耳を澄ます
ひとつ
また ひとつ
どこかでいきものが
息をひきとる 純粋なおとが
聞こえてくる

そのゆきおとを追い
てん、てん、てん、
納屋から森のほうへ
兎か 狐だろうか
南天の実のような
真新しい血が続いている

森のけものは思う
ことしのゆきが降れば
あとは
何も聞こえなくていい
何も見えなくていい

ふかく めしいて
みみはなは落ち
くちは月のための
花入れとなり
やっと
誰にも読まれない
冬の暦になるのだ と

てん、てん、てん、
ゆきとともに
南天の実は
とめどもなく落ちる
けれど バスはまだ来ない

いのち乞いをするように
凍えた指先を擦り合わせると
一瞬、狐の目のような
狂暴な血の高まりが
熱のなかをすばやく過ぎ
ゆきの底で ひとの耳と薬指の骨が
からん、と鳴り
またしずかになった

このしずけさは
いま息をひきとろうとする
けものたちの問いかけのようで
ほんとうは ひともまた
ゆきおとのなか
しずかに ほこらしく
ひとりきり、になって
いのちを いのちとして
だいじに 終わらせたいのだ
と わたしは
けものたちにやさしく伝えた

バスはまだ来ない
しろくなり始めた道のうえ
南天の実だけが
わたしの帰る方向へ
点々と続いている



灯台


生まれた土地をなくし
四季のはじまりを見失いかけたものは
見知らぬ露かげに宿をとり
時間を忘れて朽ちながら
幼い日に遊んだ水のほうへ
道を下ってゆけばいい

わたしは
深い喪の匂いに包まれたまま
もう夢のなかでしか会えない祖父母の
息のあとを追って
大洗から鉾田を過ぎ
鹿島灘のゆるやかな弧を慕い
寂しい声の犬吠埼へ
かりそめの帰路をもとめた

乾いた風に洗われ
何も映さなくなった冬の目でも
海鳥の言葉を手すりにすれば
遥かな月しろをたどれると信じて

夢のなかではいまも会えるあなたたちに
かりの居場所を告げるための
海辺の町の切手は
季節はずれの
遠雷の皮膚のようにかるく
潮に濡れた口で封をすると
確かに通過したはずの岬の消印は
波音に
かすれてしまう

わたしがたどるべき
ほんとうの番地は
露の身が
青蜻蛉の重さになり
月の端に流れ着いたとき
わたしにもはじめて
明かされるのかもしれない

幼い夏に何度か
家族で訪れた灯台は
半島の霧の突端に立ち
草木が生えにくい土の名残りを
なぐさめるように
灯される

暮れてゆく君ヶ浜から眺める
真白い塔の
懐かしい瞬きに
わたしは呼ばれ ここまで来た
何ももたずに
ただ、在る、ために

この日も船はすべて帰ってきていた
それでもなお
海岸線を照らし続ける
灯台の祈りのまなざしを頼り
波にまぎれて
泣いているひとがいる

(それは
地上の番地を永遠になくしてしまった
あなたたちの声なのでしょうか)

大洗海岸から犬吠埼へ
しずかな弧をなでた波が
あまたの泣き声をのせて帰ってくるのを
点滅する光は
夜が明けるまで
待っている

 


ベルクール広場からバスに乗り
丘のうえの学生寮に向かう
くねる道を登り
さっき電車を降りた駅の位置がわからなくなるにつれ
遠い国にいる、とはじめて思った

バス停から寮を見上げると
いくつかの部屋の窓の外に
ビニールの買い物袋がぶら下がっている
部屋まで案内してくれた学生が言った
各階の共用の台所には冷蔵庫もあるが
バターやミルクなどは 密かに誰かに使われやすい
だから 共用を避けるひとは
ああやって自分の窓の外に下げ
冷たい空気に当てておくのだと

その日食べるパンも シーツも鍋もまだない部屋の真ん中に
スーツケースを置く
駅の売店で買った水とオレンジを ビニール袋から出し
洗面台の鏡の前に並べる
ひとつしかない窓を開け
からの袋を
外の格子に結びつけると
たやすく風になびいた

それから
マットレスがむき出しになったベッドのうえに
荷物をひとつひとつ解いていった
窓の外の
誰とも共有していないこころが
どこかに飛んでゆこうとする音を聞きながら


(以上、『ひかりの途上で』より)


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