2021年1月27日水曜日

「現代詩手帖」2021年2月号に詩を寄稿しました

 「現代詩手帖」2021年2月号の「作品特集」に、詩を寄稿しました。

「Ripple」という散文詩です。

これまで行分け詩をおもに書いてきたので、自分の書き方の領域を広げるためと、表したいものにふさわしい形を探るためにも、散文詩も試したいと思っています。

散文詩とはいっても、それがもし、何かしらの物語の筋を追うだけの平易な文章でしかないとしたら、これは詩なのかどうか、小説未満の単なるお話の断片ではないのか、など疑問に思う方もいるかもしれません。

もちろん、行分けされた文章であっても、かつて北原白秋が民衆詩派の作品の散文化を指摘したように、それを詩と感じさせるだけの言葉自体の質感や揺らぎ、比喩の重なりなどがそこになければ、その塊は単なる暮らしの報告やおとぎ話に見えるかもしれません。

どちらもしても、大切なのは言葉自体が魅力的かどうか。

例えば、入沢康夫さんの散文形式の「擬物語」が詩と感じられるのは、やはり言葉自体に密度や色艶があり、描かれるイメージと世界が謎めいていて多層的だからでしょうし、散文全体が大きな隠喩になりえているからだと思います。

個人的には、詩=行分け詩と決めつけずに、自分の言葉の多様性を探るために散文詩を書くのもいいのでは、と感じています。複数の時間と情景と語りを盛り込みやすい散文だからこそ書ける詩もあるのかな、とも。

今回「現代詩手帖」に書いた散文詩には、散文と散文の間に、独立した一行(一首)を入れました。散文の切れ目からまた別の光景や声の余韻が広がればいいな、と思ったのですが、成功しているかどうか。

ご覧いただけましたらとてもうれしいです。

「現代詩手帖」2月号の作品特集には、いま活躍しているおもに若い世代の詩人たちの書下ろし作品が並びます。

こうした、「現代詩手帖」の作品特集号や年鑑号を読むと、さまざまな詩が書かれていることが実感できます。

自分にはぴんとこない、わからない、これは詩ではない、と拒むのは簡単なこと。でもどんな詩にも、それぞれの書かれた理由があり、書いたひとの言葉への熱意やこだわりがあり、その詩を気に入る読者も存在するはず。詩人が100人いたら100通りの詩がある。これからもその違いを楽しみつつ、何よりも、自分の思う「詩」を、焦らずに求めていけたらと思います。

「現代詩手帖」2月号の目次は→こちら

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