少しずつ、空や土のうえに水の訪れを感じる季節になりました。
『現代詩手帖』の「詩書月評」も6回目。ちょうど一年の折り返し地点まで来ました。
今回、取り上げた詩集は以下のとおりです。
細田傳造『アジュモニの家』
西尾勝彦『歩きながらはじまること』
若松英輔『幸福論』
福田拓也『惑星のハウスダスト』
金川宏『揺れる水のカノン』
チラナン・ピットプリーチャー『消えてしまった葉』
ジャン=ミッシェル・モルポワ『イギリス風の朝(マチネ)』
円熟の、と呼びたいくらいの、
それぞれの言葉の到達点とこれから。
そして今回は、翻訳詩集も取り上げました。
ひとりはタイの、もうひとりはフランスの詩人の。
まったく違う世界を映す言葉ですが、
どちらからも、生きた詩論を体現している逞しさを感じました。
とくに、モルポワ氏の言葉は、個人的にとても惹かれる姿をしていて、
1999年に翻訳刊行された『青の物語』も何度も開きたくなる詩集です。
訳者の有働薫さんのお力が大きいのだと感じますが。
ご興味があれば、ぜひお読みいただきたい詩集ばかりです。
峯澤典子の詩作品や日々のことなど、言葉をめぐる記録です。 「Sillage」とは、フランス語で「航跡」「残り香」のこと。 日々の時間の水面を流れる、詩の航跡を辿れたらと思います。
2018年5月25日金曜日
2018年5月7日月曜日
最初の場所に戻りながら
詩を書こうとして、書き方を忘れたように途方にくれてしまうことがある。
詩はつくづく、繰り返すことができない方法だと思う。
一度書いたようにまた書こうとしても、何かがずれてゆくし、
何かをよりどころにすることができない。
一回きりの方法をそのつど試してゆくしかない、と思う。
試したとしても、何かが足りないような気はいつもしていて、だからこそ、続けようと思えるのだろうけれど。
これまで詩集を三冊刊行したが、一冊目を超えるために二冊目を、二冊目を超えるために三冊目を、という書き方をしてきたというよりは、少しずつ方向をずらして書いてきた、という気がする。
だから、もしかすると、一冊目でできなかったことは、まだ実現できていないし、そこを継いで、深めてやってみるのも、面白いかもしれないな、とは思っている。
もちろん、まったく違うかたちで。
原点にときどき戻りながら、今度はどこを向いてみようか、と考える時間がとても楽しい。
詩は、書いていて安心する、ということがない。
だから、ほんとうに恐ろしいほどに可能性に満ちた方法だと思う。
一冊目の詩集『水版画』には、生まれた土地のイメージが色濃く表れていると思う。
平野の水田の水の鏡と、仰ぎ見る紫の山と。
こんな風景が。
詩はつくづく、繰り返すことができない方法だと思う。
一度書いたようにまた書こうとしても、何かがずれてゆくし、
何かをよりどころにすることができない。
一回きりの方法をそのつど試してゆくしかない、と思う。
試したとしても、何かが足りないような気はいつもしていて、だからこそ、続けようと思えるのだろうけれど。
これまで詩集を三冊刊行したが、一冊目を超えるために二冊目を、二冊目を超えるために三冊目を、という書き方をしてきたというよりは、少しずつ方向をずらして書いてきた、という気がする。
だから、もしかすると、一冊目でできなかったことは、まだ実現できていないし、そこを継いで、深めてやってみるのも、面白いかもしれないな、とは思っている。
もちろん、まったく違うかたちで。
原点にときどき戻りながら、今度はどこを向いてみようか、と考える時間がとても楽しい。
詩は、書いていて安心する、ということがない。
だから、ほんとうに恐ろしいほどに可能性に満ちた方法だと思う。
一冊目の詩集『水版画』には、生まれた土地のイメージが色濃く表れていると思う。
平野の水田の水の鏡と、仰ぎ見る紫の山と。
こんな風景が。
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