2018年5月25日金曜日

『現代詩手帖』6月号 詩書月評

少しずつ、空や土のうえに水の訪れを感じる季節になりました。


『現代詩手帖』の「詩書月評」も6回目。ちょうど一年の折り返し地点まで来ました。
今回、取り上げた詩集は以下のとおりです。


細田傳造『アジュモニの家』
西尾勝彦『歩きながらはじまること』
若松英輔『幸福論』
福田拓也『惑星のハウスダスト』
金川宏『揺れる水のカノン』
チラナン・ピットプリーチャー『消えてしまった葉』
ジャン=ミッシェル・モルポワ『イギリス風の朝(マチネ)』


円熟の、と呼びたいくらいの、
それぞれの言葉の到達点とこれから。



そして今回は、翻訳詩集も取り上げました。
ひとりはタイの、もうひとりはフランスの詩人の。
まったく違う世界を映す言葉ですが、
どちらからも、生きた詩論を体現している逞しさを感じました。


とくに、モルポワ氏の言葉は、個人的にとても惹かれる姿をしていて、
1999年に翻訳刊行された『青の物語』も何度も開きたくなる詩集です。
訳者の有働薫さんのお力が大きいのだと感じますが。


ご興味があれば、ぜひお読みいただきたい詩集ばかりです。













2018年5月7日月曜日

最初の場所に戻りながら

詩を書こうとして、書き方を忘れたように途方にくれてしまうことがある。
詩はつくづく、繰り返すことができない方法だと思う。
一度書いたようにまた書こうとしても、何かがずれてゆくし、
何かをよりどころにすることができない。


一回きりの方法をそのつど試してゆくしかない、と思う。
試したとしても、何かが足りないような気はいつもしていて、だからこそ、続けようと思えるのだろうけれど。


これまで詩集を三冊刊行したが、一冊目を超えるために二冊目を、二冊目を超えるために三冊目を、という書き方をしてきたというよりは、少しずつ方向をずらして書いてきた、という気がする。
だから、もしかすると、一冊目でできなかったことは、まだ実現できていないし、そこを継いで、深めてやってみるのも、面白いかもしれないな、とは思っている。
もちろん、まったく違うかたちで。
原点にときどき戻りながら、今度はどこを向いてみようか、と考える時間がとても楽しい。


詩は、書いていて安心する、ということがない。
だから、ほんとうに恐ろしいほどに可能性に満ちた方法だと思う。


一冊目の詩集『水版画』には、生まれた土地のイメージが色濃く表れていると思う。
平野の水田の水の鏡と、仰ぎ見る紫の山と。
こんな風景が。