2019年10月18日金曜日

詩 「祈る」


祈る

光がふいに差すことがある
望んだわけではないのだが

見舞いの病室の向かいで
洗濯物がはためいている
音を立てぬよう窓辺に寄り
色あせたシーツの
思うよりはきっと硬い繊維に
目で少しずつ、触れる
触れることと触れることの間に
ことん、こととん
遠い鉄橋を流れる貨物列車の音がする
からだのどこかにあるはずの
わたし、の荷箱は
つねに重すぎるか
軽すぎる
目覚めに水を注ぐとき
出がけに靴紐を結ぶとき
戒めや慰めのことばをもって
わたし自身をはかり直そうとするが
たましい、とひとが呼びすてる湿りけの縁に
ことばは
こすれながら浮き 沈み
とくにこんな日暮れには
肺なのか 喉元なのか
きゅ、と急に細くなる声の通り道に
あきらめが満ちてくる

こんなことはほかのひとにも
起きているのだろうか

見知らぬ背骨のかたちに
鈍く毛羽立った
窓越しのシーツに
思い切って わたし、を包みこむと
重さをまだよみきれない針が
ほんの少し光のほうへとゆれた
はじめての異国の市場で
泥のついた果実をためらいなく
量り売りの皿にどんどんとかさねたときの
新鮮な驚きを呼び起こしながら

からだの軽さにふいによろけ
目をあける
窓いちめんに広がる光は
背後で横たわるひとの寝息から
もれてきた祈りそのものだと
気づく






詩集『水版画』(2008年・ふらんす堂)より。

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