2016年3月29日火曜日

詩 「一羽の」

 

一羽の


夜明け前の
階段の踊り場に
どこかの赤ん坊が落としたのか
あたたかそうな茶色の手袋が片方だけ
近づいてみると
それは一羽のすずめだった
日暮れに迷いこみ
窓に必死にぶつかったのかもしれない
ガラスには若い赤が混じった
雨粒の跡


ほかの部屋の物音はまだ聞こえてこない
ハンカチで包み
中庭の茂みのそばに運んだ
手を離すと
小雨の音がした


幼いころ
水さえほしがらなくなった猫や犬の
肌の日向の匂いが ゆっくり冷えてゆくのを
いちにちじゅうでも
ひとばんじゅうでも
見守った
あのやわらかい時間の流れから
いつ 離れてしまったのだろう


一羽 一匹 そして ひとりのひとの
消える前の
あるいは 消えたあとの
ほのかな体温を
包みつづけるてのひらも
埋めてしまえるからだの深さも
もう一生 もつことはなく
今朝も
始発のベルだけを待っている


あのとき 何に触れたのかを
何が
触れてきたのかを
死ぬまで思い出さないように









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