2018年5月7日月曜日

最初の場所に戻りながら

詩を書こうとして、書き方を忘れたように途方にくれてしまうことがある。
詩はつくづく、繰り返すことができない方法だと思う。
一度書いたようにまた書こうとしても、何かがずれてゆくし、
何かをよりどころにすることができない。


一回きりの方法をそのつど試してゆくしかない、と思う。
試したとしても、何かが足りないような気はいつもしていて、だからこそ、続けようと思えるのだろうけれど。


これまで詩集を三冊刊行したが、一冊目を超えるために二冊目を、二冊目を超えるために三冊目を、という書き方をしてきたというよりは、少しずつ方向をずらして書いてきた、という気がする。
だから、もしかすると、一冊目でできなかったことは、まだ実現できていないし、そこを継いで、深めてやってみるのも、面白いかもしれないな、とは思っている。
もちろん、まったく違うかたちで。
原点にときどき戻りながら、今度はどこを向いてみようか、と考える時間がとても楽しい。


詩は、書いていて安心する、ということがない。
だから、ほんとうに恐ろしいほどに可能性に満ちた方法だと思う。


一冊目の詩集『水版画』には、生まれた土地のイメージが色濃く表れていると思う。
平野の水田の水の鏡と、仰ぎ見る紫の山と。
こんな風景が。